最高裁判所第二小法廷 昭和27年(あ)3806号 判決 1955年4月08日
主文
原判決及び第一審判決を破棄する。
本件を青森地方裁判所に差し戻す。
理由
弁護人高橋潔の上告趣意について。
所論は、原判決の判例違反を主張するけれども、控訴趣意は、単に犯意についての事実誤認の主張にすぎなかったのであり、原判決が所論の事項につき法律上の判断を示しているものとはいえないから、判例違反の論旨を容れることはできない。しかし、つぎの理由により、結局、原判決は破棄を要するものと認められる。
すなわち、第一審判決の確定する本件犯罪事実は、被告人はりんごの仲買を業とするものであるが、工藤佐之松に対し、りんご「国光」五百箱を売り渡す契約(上越線沼田駅渡の約)をし、その代金六十二万五千円を受領しながら、履行期限が過ぎても、その履行をしなかったため、佐之松より再三の督促を受けるや、昭和二三年四月一一日その履行の意思のないのに佐之松を五能線鶴泊駅に案内し、同駅で寺山昇衛をしてりんご四百二十二箱の貨車積を為さしめ、これに上越線沼田駅行の車標を挿入せしめ、「恰も林檎五百箱を沼田駅迄発送の手続を完了し着荷を待つのみの如く佐之松に示してその旨同人をして誤信させ佐之松が安心して帰宅するやその履行を為さず因て債務の弁済を免れ以て財産上不法の利益を得たものである」というのである。
しかしながら、刑法二四六条二項にいう「〔人ヲ欺罔シテ〕財産上不法ノ利益ヲ得又ハ他人ヲシテ之ヲ得セシメタル」罪が成立するためには、他人を欺罔して錯誤に陥れ、その結果被欺罔者をして何らかの処分行為を為さしめ、それによって、自己又は第三者が財産上の利益を得たのでなければならない。しかるに、右第一審判決の確定するところは、被告人の欺罔の結果、被害者工藤佐之松は錯誤に陥り、「安心して帰宅」したというにすぎない。同人の側にいかなる処分行為があったかは、同判決の明確にしないところであるのみならず、右被欺罔者の行為により、被告人がどんな財産上の利益を得たかについても同判決の事実摘示において、何ら明らかにされてはいないのである。同判決は、「因て債務の弁済を免れ」と判示するけれども、それが実質的に何を意味しているのか、不分明であるというのほかはない。あるいは、同判決は、工藤佐之松が、前記のように誤信した当然の結果として、その際、履行の督促をしなかったことを、同人の処分行為とみているのかもしれない。しかし、すでに履行遅滞の状態にある債務者が、欺罔手段によって、一時債権者の督促を免れたからといって、ただそれだけのことでは、刑法二四六条二項にいう財産上の利益を得たものということはできない。その際、債権者がもし欺罔されなかったとすれば、その督促、要求により、債務の全部または一部の履行、あるいは、これに代りまたはこれを担保すべき何らかの具体的措置が、ぜひとも行われざるをえなかったであろうといえるような、特段の情況が存在したのに、債権者が、債務者によって欺罔されたため、右のような何らか具体的措置を伴う督促、要求を行うことをしなかったような場合にはじめて、債務者は一時的にせよ右のような結果を免れたものとして、財産上の利益を得たものということができるのである。ところが、本件の場合に、右のような特別の事情が存在したことは、第一審判決の何ら説示しないところであるし、記録に徴しても、そのような事情の存否につき、必要な審理が尽されているものとは、とうてい認めがたい。ひっきょう、本件第一審判決には、刑法二四六条二項を正解しないための審理不尽、理由不備の違法があるものというべく、同判決およびこれを支持して控訴を棄却した原判決は、刑訴四一一条一号により破棄を免れないものである。
よって同四一三条に従い、全裁判官一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 栗山茂 裁判官 小谷勝重 裁判官 藤田八郎 裁判官 谷村唯一郎)